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東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)247号 判決

原告

クルーシブル マテイリアルズ コーポレーション

被告

特許庁長官

主文

特許庁が昭和61年審判第23268号事件について昭和62年9月9日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文同旨の判決

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

クルーシブル・インコーポレーテツドは、昭和52年4月27日出願の同年特許願第49020号からの分割出願として、昭和56年9月24日、名称を「フエライト系ステンレス鋼溶接物品」(その後「フエライト系ステンレス鋼溶接構造物品」と訂正)とする発明につき、1976年(昭和51年)4月27日アメリカ合衆国にした特許出願に基づく優先権を主張して特許出願(昭和56年特許願第151301号)をした。原告は、昭和58年10月3日、右クルーシブル・インコーポレーテツドから右発明の特許を受ける権利を譲り受け、昭和60年5月24日被告に対する届け出を了したが、昭和61年7月16日拒絶査定を受けたので、同年12月1日審判の請求をした。特許庁は、右請求を同年審判第23268号事件として審理したうえ、昭和62年9月9日、審判請求不成立の審決をした。

二  本願発明(特許請求の範囲第一項)の要旨

重量で、炭素〇・〇四%以下、窒素〇・〇四%以下、炭素と窒素との総計が〇・〇二~〇・〇七%、クロム二三・〇~二八・〇%、ニツケル二・〇〇~四・七五%、モリブデン〇・七五~三・五〇%及びチタン〇・一二~〇・四二%及び残り物鉄及び付随的成分及び不純物からなり、前記チタンの量は、前記炭素と窒素の総計量の少なくとも六倍に等しい完全なフエライト系ステンレス鋼溶接構造物品。

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨

前項記載のとおり。

2  引用例(特開昭50―5266号公報)の記載

①「重量パーセントにてC(炭素)〇・〇三%以下、N(窒素)〇・〇二%以下、O(酸素)〇・〇一五%以下、S(硫黄)〇・〇一%以下、Cr(クロム)一〇~三〇%を主成分として、Ni(ニツケル)四・〇%以下、Mo(モリブデン)五・〇%以下、Cu(銅)四・〇%以下、Ti(チタン)一・〇%未満、Nb(ニオブ)一・〇%以下、Zr(ジルコニウム)〇・五%以下、Si(ケイ素)五・〇%以下、Mn(マンガン)五・〇%以下を一種又は二種以上を含有して残部鉄及び避けられない不純物より成るフエライト系ステンレス鋼を非酸化性ガス雰囲気中にて、〇・三m/m以上のアプセツト量をとり高周波誘導溶接又は高周波抵抗溶接をすることを特徴とする冷間加工性と耐食性の優れたフエライト系ステンレス鋼溶接鋼管の製造法」(一頁左欄下から五行ないし右欄下から一四行、特許請求の範囲第二項。なお、括弧内は当裁判所において付記した。)、②「素材のC量を〇・〇三%以下、N量を〇・〇二%以下とすることは、フエライトマトリツクスの延性、耐食性を向上させ、溶接熱サイクルに鈍感にさせると同時に、〇・三m/m以上の高アツプセツトの高周波誘導(又は抵抗)溶接と相まつて冷間加工性、耐食性の良いステンレス鋼管を製造するために必要なものであり、素材のC、Nがそれぞれ〇・〇三%、〇・〇二%を超えると冷間加工性、耐食性の優れた鋼管は製造できないからである。」(三頁左上欄一行ないし一〇行)、③「素材中のTi、Zr、Nbはフエライトマトリツクスの延性を向上させ、溶接部の冷間加工性を向上させ、更に溶接部の耐食性を向上させる有用な元素であり、必要に応じて添加することが望ましい。しかし多量に添加すると、これらはいずれも粗大な炭窒化物を生成して冷間加工性を害するので、Tiは一・〇%、Zrは〇・五%、Nbは一・〇%を上限とした。」(三頁左下欄八行ないし一五行)。

3  両者の対比

(一) 引用例記載の発明はステンレス鋼溶接鋼管の製造法の発明であるが、その製品に着目すれば両者はいずれもフエライト系ステンレス鋼溶接構造物品に関するものであり、引用例記載の発明において選択成分としてニツケル、モリブデン及びチタンを選択すれば両者はその素材の組成においても格別の差異はない。

(二) しかし、本願発明は特に①炭素と窒素の総計を〇・〇二~〇・〇七%としている点(相違点(1))、②ニツケル、モリブデン及びチタンを必須成分として含有する点(相違点(2))、③チタンの量を炭素と窒素の量の少なくとも六倍に等しいとした点(相違点(3))において引用例記載の発明と相違する。

4  相違点に対する判断

(一) 相違点(1)について

(イ)引用例記載の発明では炭素〇・〇三%以下、窒素〇・〇二%以下と各成分別にその含有量を限定しているのみで炭素と窒素の総量についての限定はないが、(ロ)引用例の場合も炭素と窒素の総量を計算するとすべて本願発明の限定範囲に包含されるから、炭素と窒素の総量において両者に実質的に差異は認められない。

(二) 相違点(2)について

(イ)引用例には、ニツケル、モリブデン及びチタンはこれら成分を含む八成分から一種又は二種以上任意に選択し得ることが明記されており、ニツケル、モリブデンはいずれも耐食性を向上させる元素であり、チタンは前記したようにジルコニウム、ニオブとともにフエライトマトリツクスの延性を向上させ、溶接部の耐食性を向上させる元素である。(ロ)したがつて、これら三成分を選択することは該製造法によつて製造される溶接鋼管の特性を考慮して当業者が容易になし得る程度の事項と認められる。

(三) 相違点(3)について

引用例には、チタンの添加量は単に一・〇%未満とのみ記載されているにすぎず、炭素と窒素の総量との関係での限定はない。(ロ)しかしながら引用例の実施例の場合を計算するといずれも本願発明の関係を満足するから、この点で両者に格別の相違はなく、また、この点の限定に格別の技術的意義も見出せない。

5  以上のとおりであるから、本願発明は引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法二九条二項の規定により特許を受けることができない。

四  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点1、2は認める。3の(一)のうち、引用例記載の発明がステンレス鋼溶接鋼管の製造法の発明であること、その製品に着目すれば本願発明及び引用例記載の発明がいずれもフエライト系ステンレス鋼溶接構造物品に関するものであることは認めるが、その余は争う。同(二)は認める。4の(一)ないし(三)のうち、いずれも(イ)は認め、(ロ)は争う。審決は相違点に対する判断を誤つた。

1  本願発明の特徴

(一) 本願発明は、フエライト系ステンレス鋼からなる溶接構造物品に関するものであるが、フエライト系ステンレス鋼においては、素材中の炭素及び窒素が構成成分であるクロムと結合して粒間腐食等の原因となるところ、その防止方法として素材中の炭素及び窒素の含有量を減少させることが知られているものの、実際には、粒間腐食をなくすためには素材中の炭素及び窒素をそれぞれ〇・〇〇三%程度まで減少する必要があり、そのようなことは非常に困難であつて現実的でない。そこで、炭素及び窒素の含有量をそのようなレベルにまで減少させる代りに、チタンを添加することにより、そのクロムに優先する炭素及び窒素との結合性を利用して有害な炭窒化物の析出を未然に防止する方法(以下「チタン安定化法」という。)が知られており、本願発明も右方法を採用したものであるが、本願発明の発明者は、本願発明のように高クロム含有量のフエライト系ステンレス鋼にチタン安定化法を用いた場合には、溶接成形性(靭性、延性等の溶接物の機械的性質をいい、引用例にいう「冷間加工性」に同じ。)が低下すること、チタンで炭素及び窒素を安定化しつつこれを防ぐためには、一定の範囲内において、炭素と窒素の総量を一定量以上の比率で含有させればよいとの知見を得、併せてその場合に、右総量との関係でチタンの含有量をどのように定めればよいかの知見をも得た。また、本願発明のように高クロム含有量の場合には、靭性とりわけ低温切欠靭性が不十分であるとの問題点もあるが、その点についても、ある範囲のニツケルを添加することにより低温切欠靭性を改善できるとの知見を得たものである。

(二) これに対し、引用例記載の発明は、フエライト系ステンレス鋼からなる溶接構造物品の耐食性及び冷間加工性の改善を目的とするという限りでは本願発明と共通するものの、前記の本願発明における知見については何らの開示も示唆もない。

(三) 本願発明は、前記知見に基づき、具体的に各添加成分及び含有量の範囲並びに相対関係を前記本願発明の要旨のとおりに限定することにより、引用例が良好な耐食性及び冷間加工性が得られないとする不活性ガスメタルアーク溶接法の一種であるTIG溶接によつた場合でも十分な耐食性と溶接成形性を得ることに成功した点にその特徴がある。

(四) そうであれば、本願発明と引用例記載の発明は、基本的な技術思想及び作用効果を全く異にするものである。

もつとも、この点に関し、被告は、引用例である公開特許公報の特許請求の範囲第二項には、炭素、窒素、クロムのみならず、ニツケル、モリブデン、チタンについても任意に含有し得ることが明記されており、それらの含有量も本願発明のそれと重複する範囲を有することを根拠として、引用例記載の発明との対比において本願発明の前記のような特徴を否定するが、実際には、引用例記載の実施例(別紙Y2ないし11)中に本願発明の必須成分であるニツケルを含有するものは一例もなく、もとより、本願発明の必須成分をすべて含有し、かつ、その含有量が本願発明の限定範囲をすべて充足するものが一例もない以上、右被告の主張は失当である。

2  相違点に対する認定判断の誤り(取消事由)

審決が、その摘示に係る相違点(1)ないし(3)に関し、いずれも格別の差異や技術的意義がないか、或いは容易になし得る程度のことにすぎないとした点は、誤りである。

(一) 前記のとおり、炭素及び窒素はフエライト系ステンスレ鋼の耐食性等を劣化させる要素となるからその含有量を減少させる必要があるところ、本願発明においても炭素及び窒素の総量の上限値を〇・〇七%と定めているが、本願発明のこの点に関する構成の特徴は、右上限値の点よりもむしろ、前記のように、本願発明のような高クロム含有量のフエライト系ステンレス鋼においてチタン安定化法を用いた場合には炭素と窒素の総量を〇・〇二%より少なくすると溶接成形性が損なわれるという、炭素及び窒素の量は少なければ少ないほどよいとの従来の技術常識に反した全く新たな知見(右知見は甲第三号証の第Ⅳ表によつて裏付けられているところである。)に基づいて、その総量の下限値を〇・〇二%と定めた点にある。また、前記のように、チタンは炭素及び窒素の安定化に役立つ反面、その量が過剰になると靭性が劣化するため、本願発明においても、そのような観点からチタン自体の添加量の上限値を〇・四二%以下としているのであるが、本来の添加目的である炭素及び窒素の安定化の作用を確保するためには、炭素と窒素の総量との関連でもその量が定められなければならないところ、本願発明の発明者は、それが少なくとも六倍量に等しい必要があるとの知見を得(この点は、同号証の第Ⅲ表によつて裏付けられているところである。)、この点をも必須の構成要件としたものである。

(二) これに対し、引用例記載の発明がこれらの知見に関し何ら開示又は示唆するものでないことは前記のとおりであり、また、引用例記載の発明では、炭素〇・〇三%以下、窒素〇・〇二%以下と各成分別にその含有量を限定しているのみで炭素と窒素の総量についての限定はなく、チタンの添加量についても一・〇%未満とのみ記載されているのみで、右総量との関係での限定はないことは審決自体が認定するところである。また、当然ながら、炭素及び窒素の総量並びにチタンの添加量の下限値については何ら触れるところはない。

(三) そして、本願発明においては、相違点(1)及び(3)に関する構成を基本とし、ニツケル等の他の添加成分及び含有量の範囲を具体的に限定することにより、引用例において良好な耐食性及び低温加工性が得られないとされたTIG溶接法によつても十分な耐食性と溶接成形性を得ることができるとの顕著な作用効果を得たものであることも前記のとおりである以上、相違点(1)ないし(3)に対する前記審決の認定判断が誤りであることは明らかである。

なお、この点に関しても、審決は、引用例記載の実施例が本願発明における炭素及び窒素の総量の限定範囲並びにこれとチタンの添加量との関係を充足する点(ただし、審決が引用例の実施例がすべてこれらを充足するとしている点は明白な誤りであり、別紙からも明らかなように、引用例記載の実施例(Y2ないしY11の一〇例)のうち、炭素及び窒素の総量の限定を充足するのは、Y9を除く九例、右総量とチタンの添加量との関係を充足するのは、チタンの含有例であるY4~Y11の八例中Y6及びY10を除く六例であり、したがつて、両者をいずれも充足するのは、Y4、5、7、8、11の五例のみである。)をその立論の根拠としているが、引用例の実施例中に本願発明の必須成分のすべて含有し、かつ、その含有量が本願発明の限定範囲をすべて充足するものが一例もないこと前記のとおりである以上、審決指摘の点をもつて本願発明の進歩性を否定する理由とはなし得ない。

第三請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三は認める。四のうち、1(一)、(二)及び2(二)は認めるが、その余は争う(なお、TIG溶接が引用例にいう不活性ガスメタルアーク溶接法の一種であること、引用例記載の実施例(Y2ないしY11の一〇例)のうち、炭素及び窒素の総量の限定を充足するのはY9を除く九例、右総量とチタンの添加量との関係を充足するのはチタンの含有例であるY4ないしY11の八例中Y6及びY10を除く六例であり、したがつて、両者をいずれも充足するのはY4,5,7,8,11の五例であること、右実施例中に本願発明の必須成分であるニツケルを含有するものは一例もなく、また、本願発明の必須成分をすべて含有し、かつ、その含有量が本願発明の限定範囲をすべて充足する例がないことも認める。)。

二  審決の認定判断は正当である。

1  本願発明の特徴について

引用例の実施例中に、ニツケルを添加した具体例も、また、本願発明の必須成分をすべて含有し、かつ、その含有量が本願発明の限定範囲をすべて充足する具体例がなくとも、引用例である公開特許公報の特許請求の範囲第二項には、炭素、窒素、クロムのみならず、ニツケル、モリブデン、チタンについても任意に含有し得ることが明記されており、それらの含有量も本願発明のそれと重複する範囲を有するのであるし、審決指摘のとおり、相違点(1)ないし(3)が格別の差異や技術的意義がないか、或は容易になし得る程度のものであるから、引用例記載の発明においても、本願発明と同じ効果が認められるのである。したがつて、引用例記載の発明との対比において、本願発明に原告主張のような特徴を見出すことはできない。

2  取消事由について

(一) 相違点(1)について

引用例には、炭素と窒素の総量についての限定はないものの、炭素と窒素の各成分の含有量はそれぞれ〇・〇三%以下、〇・〇二%以下に限定されているから、炭素と窒素の総量は〇・〇五%以下となり、本願発明と〇・〇二~〇・〇五%の範囲で重複しており、炭素及び窒素の含有量を低く抑える技術的理由においても両者の間に格別異なるところはない。この点に関し、原告は、本願発明においては、特定の組成の鋼において炭素及び窒素の総量の下限値を定めることによりTIG溶接によつても優れた結果を得たとしているが、引用例の実施例においても本願発明における総量下限値を満たすものがある(別表Y4ないしY8、Y10、11)以上、炭素及び窒素の総量をもつて両者を「もの」として区別する指標とはなし得ないから、この点に関する審決の認定判断に誤りはない。

(二) 相違点(2)について

引用例記載の発明においても、ニツケル、モリブデン、チタンを任意に含有し得るものであることは前記のとおりであり、ニツケルが耐食性を向上させるために有効な元素であり(甲第六号証三頁右上欄五行ないし六行)、モリブデンが耐食性、特に耐孔食性、耐酸性を向上させる元素で、用途に応じて添加することが望ましい(同欄一二行ないし一四行)旨記載されており、チタンはジルコニウム、ニオブとともにフエライトマトリクスの延性を向上させ、溶接部の耐食性を向上させる元素である(同頁左下欄八行ないし一二行)旨記載されているのであるから、溶接構造物品に供せられる素材としてのフエライト系ステンレス鋼の成分として、前記三成分を選択することは、これらがもつ各属性を考慮したうえで当業者が容易になし得る事柄であり、この点に関する審決の認定判断にも誤りはない。

(三) 相違点(3)について

引用例には、チタンの添加量を炭素及び窒素の総量との関係で限定することはなされていないが、前記特許請求の範囲第二項には、チタン一・〇%未満を添加し得る旨記載されており、その添加目的も本願発明と格別異なるものではない。そして、引用例記載の発明において、炭素及び窒素は、それぞれ〇・〇三%以下、〇・〇二%以下であるから、炭素及び窒素の総量の六倍は〇・三%以下となり、本願発明におけるそれとでは、〇・一二~〇・三%の範囲で重複するのみならず、引用例記載の実施例中には、本願発明の条件を充足するものがある(別表Y4、5、7、8、9、11)から、引用例に敢えて明記がなくとも、この点は引用例記載の発明に元来内在する事柄にすぎず、格別な技術的意義を有するものではなく、この点に関する審決の認定判断にも誤りはない。

第四証拠関係

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

一  請求の原因一ないし三(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び審決の理由の要点)は当事者間に争いがない。

二  本願発明の特徴について

先ず、引用例記載の発明との対比において、本願発明の特徴について検討する。

1  請求の原因四1の(一)、(二)は当事者間に争いがない。

2  右事実に当事者間に争いのない本願発明の要旨及び引用例の記載内容並びに成立に争いのない甲第三号証(本願発明の願書及び添附の明細書)、第五号証(昭和61年12月25日付手続補正書)(以上を総称して「本願明細書」という。)及び第六号証(引用例である公開特許公報)を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  フエライト系ステンレス鋼は、オーステナイト系のステンレス鋼に比し、溶接した状態での耐食性及び溶接成形性等の機械的特性が劣るため、溶接構造物品の素材としては不適と考えられていたところ、本願発明は、溶接した状態でも良好な耐食性及び溶接成形性等の機械的特性を有するフエライト系ステンレス鋼溶接構造物品を得ることを目的として、前記当事者間に争いのない本願発明の要旨のとおりの構成を採用したもので、その特徴は、次のような点にある。すなわち、殊に溶接後は、フエライト系ステンレス鋼の素材中の炭素及び窒素はクロムと結合して粒間腐食等の原因となるところ、その防止方法として素材中の炭素及び窒素の含有量を減少させることが良く知られているものの、実際には、粒間腐食をなくすためには素材中の炭素及び窒素の含有量を極度に(本願発明の発明者の知見によれば各〇・〇〇三%程度まで)減少する必要があり、これは非常に困難であるため、炭素及び窒素の含有量をそのようなレベルにまで減少させる代わりに、チタンを添加することにより、そのクロムに優先する炭素及び窒素との結合性を利用して有害な炭窒化物の析出を未然に防止する方法(チタン安定化法)が周知であり、本願発明も基本的には右方法を採用したものである。その際、本願発明の発明者は、本願発明のように高クロム含有量のフエライト系ステンレス鋼にチタン安定化法を用いた場合には、鋼組成、特に炭素及び窒素について、単にその各含有量を〇・〇四%以下に抑えるだけでなく、総量が〇・〇二~〇・〇七%の範囲内に制御されない限り溶接割れを引き起こし或いは溶接成形性を著しく低下させてしまうこと、換言すれば、従来含有量が少ない程望ましいとされていた炭素及び窒素も、その総量が右下限値である〇・〇二%に達しない場合にはかえつて溶接成形性を損い、また、右下限値と上限値〇・〇七%の間にある場合には、粒間腐食を生じさせないと同時に溶接成形性を保つことができることを見出した。併せて、本願発明の発明者は、炭素及び窒素の安定化という作用を確保するためには右総量との関係でチタンの添加量を定める必要があるとの知見(チタンの添加量が炭素及び窒素の総量の六倍以上であることが必要。)をも得た。かくて、これらの知見に基づき本願発明において、その要旨のとおりの限定、すなわち炭素及び窒素をいずれも〇・〇四%以下とし、かつ両者の総計が〇・〇二~〇・〇七%であること、チタンを〇・一二~〇・四二%とし、かつ前記炭素と窒素の総計量の少なくとも六倍とすることとの限定が加えられたのである(この点は主として審決摘示の相違点(1)及び(3)に関する。)。更に、本願発明のように高クロム含有量の場合には靭性とりわけ低温切欠靭性が不十分であるが、一定の範囲のニツケルを必須成分として添加することにより耐食性のほか、低温切欠靭性を改善できるとの知見に基づいてニツケルを添加することにするとともに、耐食性向上のためにモリブデンをも必須成分として添加することとしたが、本願発明の要旨にみられるこれらの添加量の限定(ニツケル二・〇〇~四・七五%、モリブデン〇・七五~三・五〇%)は、ニツケル及びモリブデンを添加してチタン安定化フエライト系ステンレス鋼溶接構造物品の特性を改善する場合、ニツケル及びモリブデンの添加量は正確に調整される必要があるとの認識に基づいてなされたものである(この点は主として相違点(2)に関する。)。そして、本願発明においては、このように、必須成分である炭素、窒素、クロム、ニツケル、モリブデン及びチタンを所定割合で含有させ、特に、前記のように、炭素と窒素の総量及び右総量とチタンの添加量との関係を所定の範囲に限定することにより、引用例において良好な耐食性及び冷間加工性(本願発明にいう溶接成形性に同じ。)が得られないとされる不活性ガスメタルアーク溶接法の一種であるTIG溶接法(この点は当事者間に争いがない。)を用いた場合にも、良好な耐食性及び溶接成形性等の機械的特性を有するフエライト系ステンレス鋼を得ることができたものであり、また、この点は、本願明細書の第Ⅱ表、第Ⅳ表により一応裏付けられているところである。

(二)  一方、引用例記載の発明は、ステンレス鋼溶接鋼管の製造法の発明であるが、その製品に着目すれば本願発明と同様のフエライト系ステンレス鋼溶接構造物品に関するものであり(この点は当事者間に争いがない。)、その目的も、本願発明同様、溶接した状態で良好な耐食性及び溶接成形性(冷間加工性)を有するフエライト系ステンレス鋼溶接構造物品を得ることを目的とするものということができ、また、本願発明と同様粒間腐食等をなくすため、炭素及び窒素の量を減少(炭素〇・〇三%以下、窒素〇・〇二%以下)させようとするものである。しかし、従来この分野で普通に用いられてきた不活性ガスメタルアーク溶接法によつては、後記アツプセツト量(溶接前後の鋼管円周の変化量)等との関係で、単に炭素及び窒素の量を減少させるだけでは良好な耐食性、冷間加工性を得ることはできないとの認識に基づき、引用例記載の発明では、更に両者の含有量を減少させる代りに、不活性ガス雰囲気中で高周波誘導(又は抵抗)溶接をする方法を採用し、かつ、その際のアツプセツト量を〇・三m/m以上とすることにより、これに基づく加工変形により炭素及び窒素を素材中に均一に分布させて耐食性及び冷間加工性の向上を図るとともに、高周波誘導(又は抵抗)溶接を採用した場合は、酸素及び硫黄が耐食性及び冷間加工性を低下させる原因となるため、その含有量をそれぞれ〇・〇一五%以下、〇・〇一%以下に制限したものである。更に、引用例記載の発明においては、そのフエライト系ステンレス鋼の特性改善のため、任意に、本願発明の必須成分であるニツケル(四%以下、添加目的は耐食性の向上)、モリブデン(五%以下、添加目的は耐食性、特に耐孔食性、耐酸性の向上)、チタン(一%未満、添加目的はフエライトマトリツクスの延性及び溶接部の冷間加工性、耐食性の向上)等を添加してもよいとしているものの、前記の本願発明における炭素及び窒素の総量及びそれとの関係でのチタンの添加量並びにニツケルの添加及びその添加量とモリブデンの添加量との関係に関する知見についての開示又は示唆はない。

3  右認定事実によれば、本願発明と引用例記載の発明とは、フエライト系ステンレス鋼溶接構造物品に関するものである点、その最終的な目的及び右目的達成のために素材中の炭素及び窒素を減少させることとしている点において共通するものであり、また、炭素及び窒素の含有量を通常の方法で可能な程度に減少させるだけではフエライト系ステンレス鋼溶接構造物品の十分な耐食性及び溶接成形性を得ることができないという認識においても軌を一にするものであるが、本願発明においては、十分な耐食性及び溶接成形性を得るための手段としてチタン安定化法を採用し、その前提のもとに、ニツケル及びモリブデンの添加を含め、チタン安定化フエライト系ステンレス鋼の添加成分及び添加量の範囲並びにその相互関係を一定のものとすることによるもので、溶接方法自体は特定のものに限定するものではないのに対し、引用例記載の発明においては、溶接方法自体を不活性ガス雰囲気中で〇・三m/m以上のアツプセツト量をとつて高周波誘導(又は抵抗)溶接を行うという特定のものに限定し、その前提の下に、素材となるフエライト系ステンレス鋼の組成割合を一定のものとすることによるものであることが認められるから、両者はこの点においてその技術思想を基本的に異にするものというべきであり、また、作用効果の点においても、両者の間には、本願発明では、引用例が良好な耐食性及び冷間加工性(溶接成形性)を得られないとする不活性ガスメタルアーク溶接法(TIG溶接法)を用いても良好な耐食性及び溶接成形性が得られるという差異が認められるのである。

三  取消事由について

1  前記認定のとおり、本願発明における炭素及び窒素の総量の限定は〇・〇二~〇・〇七%というもので、その限定理由が、本願発明のような高クロム含有量のフエライト系ステンレス鋼においてチタン安定化法を用いた場合には炭素と窒素の総量を右限定範囲外とすると溶接成形性が損なわれるという知見に基づくものであること、本願発明のチタンの含有量を右炭素及び窒素の総量の少なくとも六倍とするとの限定も、炭素及び窒素の安定化の作用を確保するためには、チタンの添加量が炭素及び窒素の総量の六倍以上である必要があるとの知見に基づくものであることも、前記認定のとおりである。

2  これに対し、引用例にこれらの知見に関し何らの開示も示唆もないこと、引用例記載の発明では、炭素〇・〇三%以下、窒素〇・〇二%以下と各成分別にその含有量を限定しているのみで炭素と窒素の総量についての限定はなく、チタンの添加量についても一・〇%未満とのみ記載されているのみで、右総量との関係での限定はないことも当事者間に争いがない。

3  そして、本願発明においては、主にこれらの限定により引用例において良好な耐食性及び低温加工性(溶接成形性)が得られないとされたTIG溶接法によつても十分な耐食性と溶接成形性を得ることができたものであることも前記認定のとおりである以上、右限定に関する本願発明の相違点(1)及び(3)の構成は、引用例記載の発明が示唆するところがない技術的意義を有するものということができるから、相違点(1)及び(3)に対する前記審決の認定判断が誤りであることは明らかである。

4  審決は、引用例記載の実施例が本願発明における炭素及び窒素の総量の限定範囲並びにこれとチタンの添加量との関係を充足することを理由に、格別の差異も技術的意義も見出せないとしている。

たしかに、右三成分の関係のみを対比すれば引用例の実施例においても同様の関係を満たすものがある(引用例記載の実施例(Y2ないしY11の一〇例)のうち、炭素及び窒素の総量の限定を充足するのは、Y9を除く九例、右総量とチタンの添加量との関係を充足するのは、チタンの含有例であるY4ないしY11の八例中Y6及びY10を除く六例であり、したがつて、両者をいずれも充足するのは、Y4、5、7、8、11の五例であることは当事者間に争いがない。)が、相違点(1)及び(3)に係る本願発明の構成は、前記のとおり引用例記載の発明とは異なる技術思想に基づいて着想され、この構成により、炭素及び窒素の組成のみを引用例記載の発明のように定めただけではもたらされることのない効果を奏し得たのであるから、本願発明と同様の関係を満たす実施例が引用例の中にたまたまあつたとしても、それが本願発明同様の技術思想の裏付けをもつものでないことが明らかである以上、右実施例の存在をもつて、本願発明の技術的意義を否定し去ることは相当ではない。のみならず、本願発明の右構成は、本願発明の構成全体との組合せの中で意味を持つものであるから、これについて審決のようにいうためには、少なくとも、相違点(1)及び(3)に係る本願発明の構成の点で重複するのみでなく、その他の点においてもすべて本願発明と重複する必要があるところ、引用例においてはそのような実施例が示されていないから(引用例記載の実施例中に本願発明の必須成分であるニツケルを含有する例もなく、本願発明の必須成分をすべて含有し、かつ、その含有量が本願発明の限定範囲をすべて充足する例もないことは当事者間に争いがない。)、この点に関する審決の指摘も失当というほかない。

この点に関し、被告は、引用例である公開特許公報の特許請求の範囲第二項には、炭素、窒素、クロムのみならず、ニツケル、モリブデン、チタンについても任意に含有し得ることが明記されており、それらの含有量も本願発明のそれと重複する範囲を有することを根拠として本願発明の進歩性を否定する趣旨の主張をし、前記当事者間に争いのない本願発明の要旨及び引用例の記載内容を対比すれば、右に被告が指摘する事実を認めることができる。しかし、前に認定説示したとおり本願発明と引用例記載の発明とが基本的な技術思想及び作用効果を異にするものである以上、具体的に本願発明と全く同一の構成を有する具体例も示されていない引用例において、単に上位概念として示された組成及び組成割合の範囲内に含まれるとの一事をもつて、本願発明の進歩性を否定することは相当ではないから、この点に関する被告の主張は理由がない。

5  そうであれば、相違点(1)及び(3)に関する原告主張の取消事由は理由がある。

そして、以上の認定判断の誤りは審決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、審決は違法として取り消されるべきである。

四  よつて、原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 舟橋定之 裁判官 小野洋一)

〈以下省略〉

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